広域春日部圏で、子ども食堂や、食料などの支援、母親たちを応援する活動をしている3人に聞く、子育てしやすい地域の作り方についての対談をお届けする。
(左上)仁部前叶さん、(左下)猪狩氷青さん、(右上)増田具子さん
対談者
活動のきっかけ
――――今日はよろしくお願いします。まずは、活動のきっかけを教えてください。
猪狩 私は中国で生まれました。14歳で日本に来て、家族に憧れて16歳で結婚、18歳で2人出産し、20歳で離婚しました。若かったので、仕事して、子どもを保育園に入れればやって行けるだろうと前向きな気持ちで離婚しましたが、仕事を探すために子どもの面倒を見てくれる人もいなくて。仕事をしていないので、保育園の待機児童にもなれない。面接に子どもを連れて行ったら、子どもがいるだけで採用されませんでした。保育園に入れるために仕方なくアルバイトをしましたが、保育園のお金は高かったですね。やっと公立の保育園に入ることができて、手に職を付けるために大学に通い、「やっと就職できる」と入社説明に行ったら、子育てと両立できないような条件でした。
――――やっと就職までこぎ着けたのに……。
猪狩 「子育てしながら働くことが、こんなにも難しい世の中なのか」と、とても実感しました。自分の中で、「こんな会社があったらいいのに」「こんな支援があったらいいのに」という考えがあったので、行政やいろいろな人に聞きましたが、私の環境に合った支援がなくて…。ある時、「あ、自分でやればいいのか」と思ったのです。
――――なるほど!
猪狩 子育てしながらも働ける会社があればいいと、6年前に企業をサポートすることをメインとした自分の会社を立ち上げました。そして、ある日、テレビで子ども食堂というのを目にして…。当時春日部には無かったので、これなら協力してくれる人がいれば、お金が無くてもできる取り組みだと思いました。それから2カ月後には、決まった場所と時間に開催できる子ども食堂をスタートしました。
――――行動が早いですね!増田さんはいかがでしょうか?
増田 私は39歳で子どもを産みました。個人的に、自分の人間性ができあがってから子どもを育てるのは、人に頼ることもできないし、プライドが邪魔してしんどかったです。それに、子どもを連れて堂々と行ける場所がなくて。赤ちゃんを連れて行くことが迷惑なんじゃないかとか、ちょっと泣いただけでも周りが気になってしまい、外に出られなくなりました。
――――周囲の目が気になってしまったのですね。
増田 外出するにも子ども連れだと荷物も多いし、授乳室やおむつ交換ができる場所はあるのかなどを考えると外に出かけるハードルが上がりましたね。越谷市内では週末にイベントが多いのですが平日にはあまりなくて…。平日は家に引きこもっていましたし、周りにもそういう人がいました。平日に子どもを連れて行ける場所が欲しいと思って、「無いなら作ろう」と思い、小さい子を連れて行けるイベント「神社でままマルシェ」を作りました。
――――すごいですね!お二人とも、無いと思ったら作ったのですね。仁部さんはいかがでしょうか?
仁部 私は、子どもの貧困問題解決のため、必要なものを必要な場所に届けるという「支縁の輪」というものを作りました。Amazonの欲しいものリストを作り、支援してもらい、必要なものを必要な場所に届けています。私は自分が主体ではなく、子ども食堂やパントリーなど社会活動をされている方が作った縁を支える側で、それを広げたいと思いました。
――――皆さんそれぞれアプローチは違いますが、子育てにまつわる支援をされていますね。仁部さんのきっかけは何だったのでしょう?
仁部 令和元年に娘が生まれ、妻が産休に入りました。そして、子育てをしながら働くことのハードルの高さなど、男には見えない部分が多いということを知りました。会社勤めではないので、平日に時間があることがあり、お母さんたちはこのような生活をしているのかと垣間見ることができたので。
――――なるほど。平日に仕事をされている方には中々見えづらいところかもしれません。
仁部 私の母は4人も子育てしましたが、幸いにも祖父母がいて、父も住職で在宅の場合もあります。世の中にはそのような家庭は多くはないのだと身に染みて感じた時、子ども食堂の存在を知ったのです。お寺などの宗教施設がその会場になることもあると知りました。当山(上原寺)の場所を貸すことも考えましたが、日程がイレギュラーになってしまうので、まずは現場を知ろうと、さまざまなところのボランティアに参加するようになりました。
――――仁部さんも行動に移されたのですね。
仁部 はい。そのような中で、個人の力だと限界があると思いました。お寺に頂いたお供えなどの一部を届けるなどの活動もしていたので、この取り組みに「支縁の輪」と名付け、これなら頂いたものを1人で届ければいいので最小限のコストで最大限のパフォーマンスを発揮できると思いました。
――――ご自身一人でもできる取り組みを構築されたのですね。
仁部 そうですね。父親になったことと、もう一つきっかけがあります。知人でシングルマザーになる人が増え、僧侶なのでいろいろ相談を受けることが増えてきたのですが、なかなか個人で皆さんの力になるのは難しいと感じたことです。そこで、皆さんが子どもに使うお金を残すために、飲食品などを買うお金をカットする助けになる「支縁の輪」と、子ども食堂やフードパントリーがあるということも教えました。
助けを求めてもいい
――――やはり相談してくる方もいらっしゃるのですね。
仁部 はい。子ども食堂やフードパントリーに頼っても恥ずかしいことではないということ、ボランティアの善意から始まっていると伝えても、ハードルが高いと感じる方もいらっしゃいます。
――――自分が知っている人にでも、知らない人にでも助けを求めるのはなかなか難しいと思います。
猪狩 特に若いお母さんたちは、自分が助けてもらわなくてはいけないということをすごく気にするし、すごく頑張っているからプライドもある。利用しにくい場所ではなく、「かすかべ子ども食堂ひなた」は「子育て家庭なら誰でもいいですよ」というように間口を広げています。
――――なるほど。子育てしている人なら誰でも利用してよいという場所なら、敷居が低くなりますね。
猪狩 「特別な場所に特別な自分が来た」と思わせないように、とにかくそこを気に掛けています。主催側の私たちもシングルマザーで子育てしているので、ハードルが低くなっていると思います。あとは、とにかく詮索しない。話をしてくれるまで、何も聞かない。どこの学校に行っているかも聞かず、とにかくかける言葉もすごく気を付けて、利用する方々が気楽に、気を使わない場所にしています。気を使ったら出入り禁止!(笑)。それくらいの気持ちでやっています。
――――地域の現状について何か感じることはありますか?
猪狩 行政の支援が届いていないところがあると思います。お母さんやお父さんたちが子育てしながら生きやすい環境になったらと切実に思います。子ども食堂の必要性などがあまり知られていないということもあるのかもしれない。もっといろいろなところが手を取り合ってやっていけたら、すぐにでも変わって行くのにと思います。支援だけではなく、「あなたのことを思っているよ」というような気持ちを感じる支援もあったらいいのにと思います。
子ども食堂ひなたの様子
――――支援というのは、心も大切ということですね。
猪狩 子育ての苦労を分かっていると生まれる支援というのがあると思います。
――――なるほど。
増田 越谷市には支援が多いと思います。子育てサークルもあるし、子ども食堂も比較的多い。でも、ベッドタウンという土地柄、普段東京で仕事して東京で遊んでいた人たちが、子どもを産んで、自分の住んでいるまちのことを知らず、どんな支援があるのかなども分からない。周りとのつながりもなく、孤立してしまう。支援が充実していても、知る手段が少ないのではと感じています。先ほどの話と同じですが、支援があっても利用するのにも勇気がいることもあると思います。
――――そうですよね。
増田 一人で知らないところに行くのが怖いとか、助けてもらいに行かなきゃいけないなどの葛藤があると思うのです。私自身が、そういうことが苦手なので、気軽に行ける場所としてマルシェを作りました。
支援のための連携
仁部 私は、社会活動の現場では間接的に関わっているので、主となる問題は私には見えていないのかもしれませんが、「支縁の輪」を行っている中で、子ども食堂などを開きたくても場所が無いという声を多く聞きます。どんな場所が良いのか条件を聞くと、駐車場があって、出入りしやすくて、靴を脱いで入れて、道路から離れた場所、大人と子どもが別々の部屋にいられる場所という…。それはお寺のことじゃないかと。
――――確かに!
仁部 寺や神社は、宗派を超えて総合すると全国ではコンビニよりも数が多いのです。寺には駐車場もあり、建物やあるのが強み。寺側にも、子ども食堂をやりたいという方がいて、でもやり方が分からないということもあるので、寺と社会活動を仲介する組織を作ったらいいと思いました。このような中継地点を作るというのが私の一番の目標。寺の価値や、寺へのアプローチに気付いていない方が多いと思います。昔からそのようなことをしていた教会や寺社などは社会活動を行う環境に適しています。増田さんは、ご自身のイベントを神社で開いていらっしゃるので、既に気付いていらっしゃると思いますが…。
増田 (うなずく)
仁部 貧困を救う場所、というわけではなく、寺の有効活用として、お墓参りやお参りのついででもいいですし。寺側も全部自前でできるわけではないので、行政などの力添えがあれば、寺の力も発揮できるかもしれないと思います。宗派や個々の宗教的な考え方を完全に無しにして、社会活動だけに特化して、寺という宗教資産を地域資産に変換してもらう働き掛けをしていきたい。このアクションを起こす場所が増えることでマイナスになることはない。踏み出せるお寺だけでいいし、物だけ支援してくださる手もありますし。
――――支援のために、社会活動をしている団体と寺や行政が助け合うということですね。
猪狩 子ども食堂設立の際、ダメ元でクラウドファンディングに挑戦し、民間企業や個人の方から支援を頂き、1カ月で80万円くらい集まりました。できない理由を人のせいにしていたら何も始まらないので、自分たちでやれることはやろうと思ったのです。行政支援だと、決まりや手続きがある。困っている人が気軽に利用できる場所は、民間の方が作りやすいかもしれない。行政がカバーできないことは民間が行って、と連携できたらいいですね。
――――それは良いかもしれませんね。
社会とつながる大切さ
増田 マルシェをしているといろいろ発展があります。イベントを「あーしたい、こーしたい」という要望がある中、昨年7月に中止になった時は、作ったマスクが販売できないのでどうしようとなり、九州の被災地に送りました。授乳室を、外にテント式で作るもののアイデアを考えることや、何がマルシェにあればいいのかなど考えています。ただマルシェを開くだけではなく、皆が使いやすいように育てていきたいと思うようになりました。自分の意見がイベントなどに反映されることは、社会とつながっていると実感できるとも思います。
「神社でままマルシェ」の様子
――――そうですね。自分の意見が取り入れられたらうれしいですし、自分の存在意義を感じることもできます。現在コロナ禍ですが、大変なことはありますか?
猪狩 皆でテーブルを囲んで団らんができなくなったことですね。でも、ただ食べさせたいと始めたわけではなく、お母さんたちが大変な時にこそ、心のサポートをしたいというきっかけだったので…。集まってゆっくり話したり居場所を提供したりすることができませんが、マスクが一番無かった時にマスクを募集して200枚くらいを無料で配布しました。100人以上の方が来てくれましたね。食べ物も募集して配ったら、平均100人以上の方が来たので定期的にやろうと思いました。
――――そうだったのですね。
猪狩 いつも食堂に来ていてくれた子やお母さんたちが、顔を見せにきてくれただけでも安心しました。多くは語らなくても、「頑張ろう」とか「どう?」とか、明るく頑張るように声掛けしています。共感してほしいという女性特有の思いもありますから…。分かってくれる人がいるから頑張れる、というのもあると思います。さりげないアクションを起こし、つながる場を極力切らせたくありません。お母さんたちはつながりを必要としていると感じます。
――――特にコロナ禍では、つながりがとても大切なことだと感じます。
増田 人を集めるイベントを開くことができなかったとしても、育児中は共感してくれるというのが本当に大事だと思います。マルシェのインスタライブをしたら、たくさんの方が参加してくれました。自分一人じゃないというのは大事。誰ともつながっていないと独りぼっちになってしまいます。つながってほしいと思います。
仁部 これまで「支縁の輪」は、Amazonの欲しいものリストで購入してもらうのが6割以上、それ以外は、御朱印をもらいに来るついでになど、直接寺に届けてくれていました。コロナ禍で直接の持ち込みは減りましたが、「コロナ禍だから行けないけど」とAmazonでの支援が増えました。
支縁の輪で集まったものを必要としているところへ
――――コロナ禍でも、支援はできますね。
地域全体で子育てする
猪狩 子ども食堂ひなたは、「共育ステーション」です。お母さんたちは、子どもを産んだ瞬間から大人になれるわけではありませんし、心が強くない人もいます。だからまずは、「お母さんだからやるべき」という考えを持たずに、皆で育てる。子どもは未来。地域全体でもっと優しい温かい目で、大人たちが協力して子育てをしていこうという気持ちになれないいと思います。
――――確かに、「お母さんだから」とか、「〇〇だから」という、見えないプレッシャーはあるかもしれません。
猪狩 だからといって、子どもたちも大人に甘えるだけではなく、生きる力を身に付けてほしい。お母さんがやってくれないからできなかったというのでも、子ども食堂に行けば無料で食べられるというのでもなく、その子その子の環境はあると思いますが、考え方を変えて強い大人に育ってほしいと声を掛けています。心を開いて話せる人が、大人も子どもも必要だと思います。
――――世間では、子ども食堂は「ご飯が食べられる場所」というイメージが先行しているかもしれませんね。
猪狩 食堂は18時からでも、16時過ぎには宿題を持って待っている子どももいました。子どもたちも成長していくので、変化に合わせて必要なサポートや人を集めて、子どもたちと一緒に作っていく場所です。
男性が女性から学ぶ
仁部 私が両親学級を受けた時に、「お父さんは来られなかったら来なくてもいい」という感じだったのが衝撃でした。男の方が知らないと思うのに、手続きや体のことについて、父親でなくていいのかと思いました。男社会は女性から学ぶのが苦手かもしれないが、男同士で手を取り合って、父になった人が父親になる人に教えるというようなスペースがあれば良いと思います。パパの教育はパパがするとか…。昭和時代の長屋での生活の「しょうゆ借りるよ」みたいに、皆でできるのが一番だと思いますが、今すぐはそうならなくても、そういう関係性が家族だけではなく友達同士でもなれたらと思います。
――――そうなれば女性はもっと楽になると思います。
仁部 難しいかもしれませんが、男性がもっとやるようになれたらと思っています。お母さんたちの負担は大きいと思います。
増田 私はイベントに「ままマルシェ」と言う名前を付けましたが、このような名前を付けなくてもお母さんたちに伝わるようになればいいと思います。子ども食堂もそうだと思いますが、「ママ」と名付けないと伝わらない部分がある。ママたちが来て良い場所。本当はどこに行ってもいいのに、居心地が悪い場所があるから、「ここは居ていい場所だよ」とい伝えなければなりません。誰でも来られる場所になることを願っています。いろいろなところで平日マルシェを開いてほしい。昔ながらの声掛けや、気軽に人に助けてと言える環境ができればと思います。
――――昔の日本への回帰というか、そういうつながりが大切なのですね。皆さん本日はありがとうございました。
増田 今日は元気をもらいました!
仁部 勉強になりました。
猪狩 みんなで共感ですね。男性がみんな仁部さんみたいになればいいのに(笑)。
仁部 多分、もし今、横に妻がいたら「そんなこというならもっとあれやってこれやって」と言われます(笑)。
――――何だかそのシーンが目に浮かぶようです(笑)。ありがとうございました。