春日部で生まれ、2歳まで市内に在住していた「はなわ」さんが3月27日、「かすかべ親善大使」に就任した。出生地、春日部について、これまでの芸能活動、根底に持つ思いなど、はなわさんに聞いた。
親に言い出せなかった芸人の夢
――――大ヒットしている映画「翔んで埼玉」の主題歌で話題となり、芸能界でも大活躍していらっしゃいますが、お笑い芸人になるきっかけは何だったのですか?
小学校4年生くらいから芸能界に興味を持ち始めました。もともとクラスでは目立ちたがり屋で人を笑わせたりするのが好きだったんです。
――――子どものころからだったんですね。
そうです。高校生の時は学校に行きたくなくて(笑)、遊び回ってバンドをやったり、家に帰らないこともあったりしました。同時に芸能界に行くしかないという思いも強くなってきて…。でも思春期だったのもあって、親に言うことが恥ずかしかった。
――――そうだったんですか。弟(ナイツ・塙宜之)さんも芸能界で活躍されていますよね。
そうですね。ちょうど僕が悩んでいるころ、弟が漫才コンクールで優勝したんです。でも僕がお笑いをやりたいのを知っていたから言いづらかったみたい(笑)。親に進路を聞かれても言い出せなくて、NSC(吉本総合芸能学院)に行くとか言ったらお笑いをやりたいのがバレるので、東京アナウンス学院に行ったんです。お笑いコースってちっちゃく書いてあったんですよ(笑)。
―――――(笑)。そこから芸能界の道に進まれたのですね。
芸人でいろいろやっていたけど、始めは全然仕事が無かった。東京ではお笑いライブくらいしか仕事ないから出ていたけれど、全くウケない時もあり…。いろいろネタを変えて、ベース漫談というのが生まれたんです。
「唯一無二」の思いから生まれたベース漫談
―――――試行錯誤を重ねて生まれたんですね。
ベースが家にあったので、これを使ってネタをやってみようと思って…。そしたらウケた。「これはいけるな」と。
―――――バンドで音楽をやっていたことが生きたんですね。
そうですね。自分の中には常に「唯一無二」という言葉があります。子どものころから人と同じことをしたくないというのがありました。佐賀で芸人になろうなんて人もいなかったし、東京来ても、みんな「コンビ組もうコンビ組もう」と言っていたけど、何か「面白くないやつとは組みたくない」とピン芸人でやっていたり…。
―――――そうなんですか(笑)
この髪型もそう。ベースでネタをやる人も一人もいなかった。常に唯一無二ということを考えていて、座右の銘というよりは、そうじゃないと自分が自分に飽きちゃう。誰もやっていないことをやることに喜びを感じるんです。
――――なるほど、お笑い芸人としての「はなわさん」らしさは、そのような思いからできているのですね。活動のターニングポイントとなったのは、やはり「佐賀県」の歌でしょうか?
ターニングポイントはたくさんあるけれど、一つ挙げるとしたら、そうですね。「佐賀県」がCDになって、紅白に出場した2003年です。
――――そこに至るまでの道のりはいろいろあったのでしょうね。
お笑いには周期があって、ベース漫談がウケてめちゃめちゃ脂が乗り始めた時でもテレビ番組は無かった。「ボキャブラ天国」が終わったころかな、お笑い氷河期でしたね。「今、ネタ番組があったら絶対いけるのに!」という自信があったんですが…。そしたら「爆笑オンエアバトル」が始まった。「よっしゃー!」という感じで、第1回から出させてもらって、番組では結構結果を出せました。そして「エンタの神様」という番組も始まりました。
人が好き
――――お笑い芸人として、何か大切にしている思いなどはありますか?
根底にあるのは「人を元気にする」ということです。よくディスったりしているけれど、最終的には人を元気にできればと思ってやっています。
――――ディスるのは勇気がいるのでは?
めちゃめちゃキレられたこともいっぱいありますよ。賛否両論ですし。しょうがないとは思うけれど、本当はそう思っているわけではないと説明します。
――――説明していらっしゃるんですね!
はい。でも伝わらないこともありますよ。僕は基本的に人が好きで、人と話すことが好きなんです。どんなジャンルの人に対しても興味があって、仲良くなれたりします。僕は自分をダメな人間だと思っているので。
――――そうなんですね?何だか驚くことばかりです。
僕は運が良いのか、すごく能力や力がある人たちと知り合いになれていて、みんなすごいなって思っています。きっと運命というか、意味があって出会っているんだろうなと感じます。みんな力になってくれて、僕も力になりたいと思っています。お互いを高め合うというか…。
妥協せずに何でもやりたい
―――――これからの活動について教えてください。
「人を元気にする」というテーマにつながるなら何でもやりたい。これしかやっちゃダメだというのとか、枠にとらわれるのが嫌で、好きなことを何でもやっています。事務所的にもいろいろやらせてくれる。いろいろなことに興味持ってやりたい人なので、これからもどんどん思いついたことを妥協せずにやっていきたいですね。
―――――どんなご活動をされるのか楽しみです。
活動をしていく上では、自分自身が幸せで元気じゃないとできないことだから、家族を幸せにすることを第一に、今、必死に仕事しています。
―――――「かすかべ親善大使」となられましたが、いかがですか?
春日部はこれからいろいろ勉強して、もっと良さを知りたいです。直近だと「藤まつり」も興味あるし、地下神殿も行きたいですね。あと、自分が生まれた武里団地にも改めて行ってみたいです。
夢はアニメ「クレヨンしんちゃん」との共演
――――三男の昇利(しょうり)さん(8歳)がアニメ「クレヨンしんちゃん」好きだとか?
そう!5歳のころは、実写版「クレヨンしんちゃん」かなってくらい似ていたんですよ。今でも毎日ユーチューブでアニメを見ています。だから、僕の夢は「クレヨンしんちゃん」に出ること。春日部の歌も作って。
――――ぜひ作ってください!
そして、「クレヨンしんちゃん」に出て、しんちゃんと一緒に春日部の歌を歌いたい。夢が多すぎるかな(笑)。
――――見てみたいです(笑)。最後に春日部市民に向けてメッセージをお願いします。
僕も春日部で生まれましたけど、山崎弘也さんや、ビビる大木さん、茂木健一郎さんなどのすごい人を輩出している。すごい街だから、自信を持ってほしいと思います。僕は2歳までしかいなかったけど、間の40年分を取り返す気持ちで、春日部愛をもっともっと膨らませていって春日部のために活動していきたいと思います。
――――お忙しい中、ありがとうございました。