現在人口23万人の春日部市。ベッドタウンとしての認知度が高いが、春日部にしか無いもの・誇れるものがある。人口減少や高齢化などの問題を抱えている事実も踏まえながら、春日部に住んでいる人、関わりが深い人の目を通して、さまざまな分野から春日部の魅力や可能性に目を向けていく。
2回目は、UターンやIターンなどで春日部に在住し、春日部を拠点として仕事をしている3人が、それぞれの働き方や考え方、春日部について語り合う対談を前編・後編に分けてお届けする。
(左から)梶直輝さん(28)・鈴木将平さん(26)・森田啓介さん(29)
――――20代など若い世代は、市外・県外に住むことや、働きに行くことが多いというイメージですが、皆さんは現在春日部に住み、働いていらっしゃいます。これまでの経緯を教えてください。
梶 福島県で生まれ、春日部で育ちました。春日部から東京の大学へ通い、金融機関に就職して大宮で働いていました。現在は主にカメラマンとして仕事をしています。
鈴木 高校まで静岡県にいました。大学が東京でしたので東京に住み、教育数学などを学び、大学院を卒業して、今は春日部で塾講師をしています。
森田 生まれも育ちも春日部で、24歳くらいまで過ごしました。子どものころから美術や図工が好きで、金属の溶接を学ぶために工業高校に通いました。市内で就職しましたが、自分が思いついたデザインでものづくりがしたいと思うようになり、東京の専門学校でプロダクトデザインを学び、車も好きでしたので神奈川県の相模原で車のボディーを作るなど金属造形を学んだりしました。
――――24歳でいったん春日部を離れたのですね。
森田 そうですね。相模原の後は再び東京に戻り、パソコンを使ってCGや動画作りに没頭していました。バックパッカーで野宿をしながら国内を旅行したこともあります。
――――野宿!?すごいですね(笑)
森田 岡山県など他地域の地域活性の取り組みが興味深かったです。「春日部の商店街は元気が無い」とずっと気になっていたので…。そして今年になって、春日部にシェア工房「KILTA春日部」ができると聞き、見学をしてすぐに働くことになりました。新しいことが始まり、ものづくりから文化が発信される気がして…。
――――なるほど、それでUターンしたのですね。梶さんはずっと春日部在住でありながら日本一周や他県で出張撮影するなど、市外との関わりが多いですよね。
梶 そうですね。学生時代は国内海外問わず、たくさん旅行に行き、日本の良さも海外の良さも感じました。金融機関に就職したことで、いろいろな業種の人と出会いました。社会人としてのマナーとか経済の回り方とか社会人基礎力も身に付きましたね。そして初めてのボーナスで4万円くらいの自転車を買い、春日部からスカイツリーまで往復したんです。
――――(笑)結構距離ありますよね。車でも1時間以上かかります。
梶 翌日、中学校からの友人に「日本一周したら?」と言われて、その後、会社の同僚にも同じことを言われました。「面白そうだな」と思いました。日本のことも知りたかったし。1年たっても気持ちが変わらないなら行ってみようかと。
――――1年間、構想を温めたのですね。
梶 はい。金融機関で2年間働いた後、「知る」をテーマとして7カ月かけて自転車で日本一周しました。
――――テーマ設定して日本一周!
梶 たくさんの人と出会うことで、自分に無かった考え方とかを学びました。例えば気仙沼では、「毎日ワクワクできるから気仙沼にいる」という人に会って。その人からは「やりたくないことはやらない」「ワクワクすることをする」ことの大切さを。岐阜では、まちを支えるプレーヤー・メッセンジャー、そしてプロデューサーとして働いている人と出会い、「自分ができることなら、複数仕事をやっていいんだ」と思いました。
――――人との出会いで、いろいろ「知る」ことができたんですね。
梶 それらの経験は、今の自分の働き方の軸になっています。自分で作った造語ですが、「求人尽力(きゅうじんじんりょく)」といって、自分を求めてくれる人に全力を尽くすという意味です。仕事や技術は、求められてから身に付けていけばいいし、目の前の人に全力を尽くす。人に寄り添うことが仕事につながると思います。実は、日本一周している時にカメラで写真を撮りながら周っていましたけど、その時は今のようにカメラマンになるとは全然思っていませんでした。
石垣島のパイナップル畑にて。2018年7月12日撮影 梶直輝さん
――――そうなんですか?
梶 日本一周から戻ってきたら、月一くらいで撮影の仕事が入るようになり、カメラマンになることを応援してくれる人もいて、カメラマンになる決意ができましたね。今は春日部に住んでいますが、東京や九州に出張撮影したりしています。動画制作チームを持っていたり、ホームページ制作やライターもしたりして、フリーランスで仕事をしています。日本一周でお世話になった人にあいさつに行ったら出張撮影の仕事を頂いたりして…。
――――複数の仕事をする、いわゆる「パラレルワーカー」ですね。
鈴木 僕は教員になることを目指していたので、教育実習で高校数学を教えました。クラスに40人いれば、その時間の授業内容を理解できる生徒とそうでない生徒がいます。僕は、理解できていない生徒を気に掛けることが多かったです。学校は、年間の授業進度に合わせて授業を進める必要があるので、どうしても理解できないまま進んでしまう生徒がいて、それがずっと気掛かりでした。
――――鈴木さんの教育に対する考え方や方針が現場とは違ったのですか?
鈴木 現場の先生も心苦しいと思いますが…。僕は気にしすぎて授業進度が大幅に遅れて迷惑をかけてしまいました。その後、自学自習塾「パラリア」の浅見貴則社長を紹介されて…。経営工学の研究をしながら起業して塾を経営している姿を見て、自分の中の枠が広がったというか、可能性が見えました。
――――自身の中の常識が破られたという感じでしょうか?
鈴木 そうですね。「僕の考え方とマッチする場があるのか!」と衝撃を受けました。教育実習では全体を見るよりも個人を教える方が楽しかったし、僕の手の届く範囲で、サポートできる人をサポートできればいいと思っています。パラリアの東大前校で働き始め、大学院を卒業してから春日部に引っ越し、春日部校に入社しました。
――――以前は神楽坂に住んでいたんですよね? いわゆるIターンですけど、春日部に住んでみていかがでしょうか?
鈴木 市民になってまだ3カ月ですけど(笑)。発想が自由な人に多く出会えていて、僕の生き方を受け入れてくれる寛容なところという印象です。
――――そうなんですね?市内にいると、なかなか分からないことかもしれません。
森田 僕が一般的ではない生き方をしているのかもしれないけれど…。多様性があっていいと思うし、一人一人が自分の得意なことを生かせば世の中がもっと良くなるのでは、と思っています。
梶 周りに合わせたり自分を縛り付けたりせず、自然体で、ね。
森田 自分をセーブしている人も多いのでは? と思うこともあります。
――――やりたいことがあっても、我慢するとか、常識に当てはめて合わなければやらない、などでしょうか。
鈴木 教育の現場でも、学校だけではなく、少人数を教える事が得意な人、アウトドアの指導員が向いている人などさまざま。どんなスタンスで関わっていきたいのか、教育者自身が知ろうとすることも必要だと思います。
(後編に続く)
次回は「変化していくことは当たり前」からお届けします。
対談場所:Kitchen shoku bar Village