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春日部の家族経営スーパーが50周年 「絶滅危惧種でも愛される店続けたい」

(左から)志方安義さん、次女の太田良子さん、長男の塩浦朗さん、長女の河内みどりさん

(左から)志方安義さん、次女の太田良子さん、長男の塩浦朗さん、長女の河内みどりさん

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 春日部のスーパー「みどりスーパー」(春日部市米島、TEL 048-746-1100)が9月30日、50周年を迎えた。

開店当時のチラシ

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 塩浦禄朗さんと故・靜江さん夫妻が1972(昭和47)年に創業したスーパー。夫妻は東京の乾物卸の会社で働いていたが、禄朗さんの発案で食料品店を開いた。

 店は靜江さんが運営し、当初は缶詰や調味料、野菜、卵などを販売。なかなか客足が増えなかったことから禄朗さんも会社を退職して運営に加わり、商品を増やすなど改革を行ったことから店は軌道に乗った。

 現在は長女・長男・次女の3人が店の経営に携わっている。長女で総菜部を担当する河内みどりさんは「開業したのは私が5歳の時。当時私を含め4人子どもがいて、母は店を切り盛りしながら育児や家事に追われていた。8人きょうだいの末っ子が生まれる時は忙しくて病院の健診に行っておらず、破水していきなり病院に駆け込んでいた」と振り返る。

 1970年代後半、近隣に競争店があったことから売り上げが伸び悩んだ。禄朗さんが野菜の安売りを始めたところ、飛ぶように売れたという。長男で社長の塩浦朗さんは「父は、当たり前に値段を付けても売れないと言っていた。100円で買った野菜を138円にしてもお客さんは買わない。そこで100円で売ってみたところ爆発的に売れ、店が軌道に乗った。魚の販売と安売りも始め、日々の目玉商品ができて店の認知度が上がった。当時、生鮮を赤字で売るような店はなかったと思う。この頃、スーパーのような業態になった」と振り返る。

 1995(平成7)年ごろに店を増築。5倍の広さにして販売部門の専門性を打ち出した。「その後17年くらいは右肩上がりだった」と塩浦さん。2013(平成23)年ごろに、近隣にショッピングモールがオープンし、客足が減少したことから総菜部を立ち上げた。河内さんは昨年4月、映画「翔(と)んで埼玉」のせりふにちなみ、「そこらへんの草天丼」を開発し販売。塩浦さんは「毎回総菜部の突飛なアイデアに驚いている。没にしても勝手に作って売っている。昨年の反響には驚いた」と明かす。

 昨年11月、靜江さんはがんで他界。禄朗さんは現在入院している。塩浦さんは「店が続いているのは奇跡。母に商売センスはなかったが、求心力があり、店は母を中心に回っていた。母はお客さんが好きでよく話をしていたことも、店の特徴の一つだった。子どもの頃から母の大変さを見てきて、きょうだい共に、母のために頑張ろうとこの道を選んだ。長く続けている秘訣(ひけつ)はないが、取引先やパートさん、お客さんに助けられていると思う」と話す。

 河内さんは「お客さんは高齢の方や、3世代で来てくれる方も多い。当店のような家族経営スーパーは絶滅危惧種だが、世代を超えて愛される店にしていきたい」と意気込む。

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