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越谷の創業58年の洋品店、店主亡くなり閉店へ ブラウスやニットなど在庫多く

店外観

店外観

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 越谷の「アライ洋品店」(越谷市越ヶ谷3、TEL 090-4392-8585)の店主が亡くなったため、在庫がなくなり次第閉店する。

婦人用の外出着などが多く残る店内

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 1964(昭和39)年に荒井八重子さんが創業した洋品店。旧日光街道沿いに店を構え、当初は婦人服や子ども服を販売していたが、荒井さんが社交ダンスを始めてからはダンス用のドレスなども取り扱うようになった。

 荒井さんの次女 奥村恵子さんは「父の家は大正時代から呉服問屋を営んでいた。母が吉川市から20歳くらいで嫁いできた時、店は営業していなかったが、近所の人が集まり、碁を打っていた。母は内職で着物を仕立てていた。せっかく店があるからということと、生活のためもあり、母が洋品店を始めたと記憶している」と振り返る。

 荒井さんは毎週月曜、馬喰町の問屋街で商品を仕入れていた。奥村さんは「開店当初、母はとても忙しくしていた。私も一緒に仕入れに行ったことがあるが、母は大きな白い風呂敷に、買った洋服を包んで肩にかけ、両手にも荷物を持っていた。母は背が低かったので、駅の改札を通る時、肩にかけた荷物が改札に引っかかってしまい、駅員さんに『あなた荷物大きすぎるよ』と言われたことを覚えている」という。

 長女の白石郁子さんは「母は頭が良く、頑張り屋だった。店休日に仕入れに行って、夜遅くまで計算尺を使って値段を付けるなど、休みなく働いていた」と話す。大みそかは、周辺の商店主が店を閉めてから買い物に来るため、店を24時まで開けていたという。奥村さんは「家族そろって大みそかのテレビ番組を見たことがない。こんなに面白いから母に見せたいと子ども心に思っていた」という。

 同店は2回改装し、増えた品ぞろえに対応するために建て替えも行った。1960年代に周辺に大型店ができたことや、店の前の車通りが増えたことから人の流れが変わり、固定客は多かったものの、客の高齢化もあって客は少しずつ減っていたという。

 今年4月に荒井さんのがんが発覚。自宅療養していたが、7月に91歳で亡くなった。白石さんは「母は病気が見つかっても、『早く元気になって店を開けなきゃ』と言っていた。元気になってまた店を開けるつもりだったので、店はそのままの状態。病気になっていなかったら、まだ店に立っていると思う」と話す。

 現在、白石さんをはじめ荒井さんの子どもたちが月3~4回、店を開けている。荒井さんが亡くなったことを知らずに来店する客も多く、白石さんらが告げると驚き残念がるという。現在ニットやブラウス、スカートなど在庫が多数残っており、要望があれば店を開ける。在庫がなくなり次第、完全に閉店する。

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